映画『ザ・クリエイター/創造者』(原題:The Creator)は、2023年に公開されたSFアクション映画です。監督はギャレス・エドワーズ(『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』『GODZILLA ゴジラ』など)で、近未来の世界を舞台にした壮大なストーリーが描かれます。この作品はAIと人間の戦いを描いた近未来SFです。
作品情報
監督:ギャレス・エドワーズ
脚本:ギャレス・エドワーズ、クリス・ワイツ
原案:ギャレス・エドワーズ
製作:ギャレス・エドワーズ、キリ・ハート、ジム・スペンサー、アーノン・ミルチャン
製作総指揮:ヤリーヴ・ミルチャン、マイケル・シェイファー、ナタリー・レーマン、ニック・メイヤー、ゼヴ・フォアマン
撮影監督:グリーグ・フレイザー、オレン・ソファー
プロダクション・デザイン:ジェームズ・クライン
編集:ジョー・ウォーカー、ハンク・コーウィン、スコット・モリス
音楽:ハンス・ジマー
製作:ニュー・リージェンシー、エンターテイメント・ワン、バッド・ドリームス
配給:20世紀フォックス
公開:2023年
上映時間:133分
製作国:アメリカ合衆国
キャスト
ジョシュア:ジョン・デビッド・ワシントン
アメリカ軍特殊部隊兵士 軍曹。
アルフィー:マデリーン・ユナ・ヴォイルズ
少女の姿をしたシミュラント。
マヤ:ジェンマ・チャン
ニューアジアに住むジョシュアの妻。
ハウエル大佐:アリソン・ジャネイ
アメリカ軍兵士。ジョシュアの上官。
ハルン:渡辺謙
ニューアジアのAIのリーダー。
ドリュー:スタージル・シンプソン
ジョシュアの友人。AIの専門家。
オムニ/ブイ軍曹:アマル・チャーダ=パテル
アンドリュース将軍:ラルフ・ネルソン
AI殲滅の指揮をとる。
カミ:ヴェロニカ・ンゴー
ニューアジアのシミュラント。ドリューの恋人的存在。
マクブライド:マーク・メンチャカ
コットン:マイケル・エスパー
シップリー:ロビー・タン
『ザ・クリエイター/創造者』のあらすじ
AI技術が飛躍的に進歩し、日常生活に不可欠になってきた近未来。より人間に近づいた「シミュラント」も登場してきていた。
ところがAIの暴走とされるロサンゼルスの核爆発で、100万人が犠牲になる。その出来事がきっかけとなり、アメリカを含む西側諸国はAIを危険視し、AIの殲滅が始まる。ところが、ニューアジアの人々はAIに対して好意を持っており、AIとの共存が続いていた。
また、ニューアジアにはAIの「クリエイター/創造者」で、神のような崇拝の対象になっている「ニルマータ」の存在があった。
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特殊部隊の兵士ジョシュアは、AIとの戦闘で愛する妻のマヤを失い、失意に暮れながらも新しい任務を命じられる。その任務とは、ニルマータが開発した超兵器「アルファ・オー」を見つけ出し破壊することだった。気の進まないジョシュアだったが、マヤが生きている可能性を知らされ、その任務を受ける。
しかし、ジョシュアが発見した超兵器「アルファ・オー」とは、幼い少女の姿をしたシミュラントであった。彼女を破壊すればAIとの戦いの勝利に近づくのだが、ジョシュアはこの少女がマヤに関する情報を持っていることに気づき、そのシミュラントの少女アルフィーとマヤ探しをはじめる。
果たしてジョシュアは、軍の任務に従うのか、それともAIの運命を変える選択をするのか…!?
『ザ・クリエイター/創造者』の見どころ
ワクワクさせる「近未来」の映像
この作品は未来世界を堪能させてくれる作品ですが、そういった映像がそこかしこに見られます。
たとえば、ブレードランナーを思い起こさせるニューアジアの夜の都会の風景。また、成層圏に浮かぶ巨大な軍事基地ノマドや巨大な建造物群これはギャレス・エドワーズ監督の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』でも見られる情景です。
ニューアジアの農村の風景、これはフランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』やオリバー・ストーン監督の『プラトーン』に出てくるベトナム戦争当時の農村風景を思い起こします。ただ、そこで農民と変わらない姿で働いているのがロボットなのです。
このように、この作品ではいろいろとSFオタクの心をくすぐるシーンが次々と登場します。
ニルマータとは何者?
「ニルマータ」とはAIを生み出し、AIの指導者的役割を果たしています。また、AIたちにとっても神同然の崇拝の対象となっています。しかし、アメリカをはじめとする西側諸国にとっては「人類を脅かす危険な存在」とされています。
ニルマータについて、アメリカ軍は当初マヤの父親だと考えます。そのためにジョシュアはニューアジアに潜入しマヤに近づくのですが、ニルマータの正体ははっきりとしません。
ジョシュアの任務とマヤ
そもそもジョシュアは特殊部隊の兵士(軍曹)で、ニルマータを探し出して抹殺するという任務で、ニルマータに通じているであろうマヤに近づくわけです。ところがジョシュアは任務よりもマヤの方に心が向いてしまい、マヤは妊娠をしてしまいます。
特殊部隊の攻撃でマヤが死んだ後は、アメリカに戻り軍からも抜けてしまいます。ところがマヤが生きている可能性が出てきたため、マヤ会いたさに再びニューアジアへ向かいます。ジョシュアとしては任務よりもマヤに対する愛情が遥かに重要なのです。そんなジョシュアの暴走?がこの作品を面白くしています。
アルフィーの存在
マヤの死のあと軍から退いたジョシュアは、マヤが生きているかも、という期待のもとに任務に復帰します。その任務とは、ニルマータが開発した成層圏に浮かぶ軍事基地「ノマド」を破壊できる力を持つ超兵器「アルファ・オー」を見つけることでした。
ところがその超兵器アルファ・オーとは、まだいたいけな少女のシミュラントだったのです。ジョシュアは少女のシミュラントにアルフィーと名前をつけます。そして、マヤの居場所を知っているとみたジョシュアは、アルフィーを連れて旅をすることになります。
ジョシュアにとってのアルフィーは、最初はマヤを探す手がかりでしかないように見えます。アルフィーは無口で口を閉ざしています。ところが一緒に旅をするうちに、ジョシュアのアルフィーを見る目が変わってきます。アルフィーも少しずつ心を開いていきます。
物語が進むにつれ、その二人が少しずつ心を通わすようになり、見ている観客にとっても感動的なものになってきます。
『ザ・クリエイター/創造者』の考察
この作品は未来世界において、AIの進歩が人類に対してどのような影響を与えるかという、一つの例を示しているのではないでしょうか。それをジョシュアとアルフィーの関係を通じて、われわれに見せてくれています。そのような本作を以下の観点から考察してみます。
AIと人間の共存・対立
アメリカをはじめとする西側諸国はAIを危険と見なし、ロサンゼルスの核爆発を機にAIに対して攻撃を仕掛けます。ところがニューアジアではAIと共存しており、AIと人間は有効な関係を続けているのです。ここには西欧諸国とニューアジアでのAIに対する意識のずれを感じます。
ニューアジアでは都会はあるものの、多くがのどかな田園地帯や山間部の村々を中心に描かれています。対してアメリカを中心とする西側諸国は技術革新の進んだ資本主義社会を連想させます。
現代でもAIが社会に進出してくると、人間から仕事を奪うといった懸念をいう人々がいますが、西側諸国ではそのようなAIに対する偏見のような問題が起こっていたのかもしれません。
映画の中で、渡辺謙が演じるハルンはロサンゼルスの核爆発は「人間の人為的なミスだ」といっています。真偽はわかりませんが、ロサンゼルスの事件もなんとなく陰謀的なものを感じます。
AIは敵か味方か?―この作品でのAIの描き方
この作品のAI、特にシミュラントは感情を持つ存在として描かれます。
ジョシュアとアルフィーとの関係を見ていると、ジョシュアは当初アルフィーに対して、ただの機械であることはわかっているが、少女の姿をしていることで、戸惑いを感じている様子が感じられます。
アルフィーは最初、ジョシュアに対して全く口を聞きません。しかし、行動を共にしているうちに、少しずつ口を聞くようになってきます。
ジョシュアとアルフィーの会話の中で、「スタンバイ」と「オフ」という言葉が使われます。「スタンバイ」は「待機(スマホやパソコンでいう「スリープ」でしょうか)」ですが、「オフ」はアルフィーにとって「死」を意味するようです。
ジョシュアとアルフィーとの間で次のような会話が交わされます。
アルフィー:人間はどうやって作られたの?
ジョシュア:両親が作った。
アルフィー:今、彼らは?
ジョシュア:オフになり天国にいる。
アルフィー:天国って?
ジョシュア:空にある安らかな場所
アルフィー:あなた、天国に行く?
ジョシュア:いや
アルフィー:どうして?
ジョシュア:行くのは善い人だけ
アルフィー:それじゃ私もだめ、天国に行けない。あなたは悪い人、私は人じゃない
『ザ・クリエイター/創造者』の字幕より
この作品の一番の感動場面です。この会話で、ジョシュアのアルフィーに対しての気持ちが、あきらがに変わっていきます。
この作品でAIと人間は見た目はどうあれ、「心」に関しては同等であると描かれています。人間とAIが心の面で同一であるとすれば、AIとて味方にでも敵にでもなり得るということではないでしょうか。
とすると、ハルンの「AIは人間を攻撃しない」という言葉はとういう意味はなんなのでしょうか。ただのハルンの気持ちの表れだったのか、あるいは、かつてアイザック・アシモフが唱えた「ロボット三原則」をこの作品でも導入していて、この時代のAIには心を制御する機能が備えられているというのか、どうなのでしょう。
現在はまだいいとしても、いずれAIがただのツールなのか、意志の疎通ができる存在として扱うのかを議論する時代がくるのではないでしょうか。
結末の解釈
(結末についてのネタバレがあります)
最後のクライマックスでジョシュアとアルフィーによってノマドは破壊されます。ジョシュアはアルフィーを脱出ポッドに乗せて脱出させ、それが涙の別れとなります。
地上では破壊され墜落してくるノマドを見てニューアジアの人間やAIは歓喜の声をあげます。
脱出ポッドから出てきたアルフィーは最初、泣き顔をしていますが次第に笑顔に変わってきます。その後ろからは「ニルマータ!ニルマータ!」の歓声が聞こえるのです。
この時アルフィーはどのような気持ちなのでしょうか。
人類に勝利したという気持ちなのでしょうか。それともAIたちの救世主という自覚が芽生えた瞬間なのでしょうか。
観客に対して疑問を呈したエンディングとなっていますね。
『ザ・クリエイター/創造者』の感想
近未来をテーマにしたSF映画をみていると「ちょっと科学技術が進みすぎてはいませんか!」と思うような映画ってありますよね。この作品もその一つです。
物語は、2065年にニルマータ捜索のために潜伏をしていたジョシュアのいる村に、アメリカ軍の特殊部隊が攻撃をかけるというシーンから始まりますが、2065年というとたった40年ほど先の話。ロボット警察にシミュラント、ノマド、あまりにも科学技術の進歩が早すぎます。
でも、そこで忘れてはいけないのが、映画の冒頭のシーン。ちょっと懐かしい雰囲気のモノクロ画像からはじまり、AIやロボットの進歩の状況が説明されます。映像からして1950~60年台のニュース映像。レトロフューチャーな雰囲気がいいですよね。この映画は、その頃すでに家庭にロボットが入り込み、家事の手伝いなどを行っていたという設定なのですね。現実にはそんなこと起こっていませんけど。
この作品の時代設定は、現実の時間の流れではなく、AIテクノロジーやロボット工学が先に進んだ、現実とはまた別の歴史になっているようです。
近未来SFの面白さは「古いもの」と「新しいもの」とのギャップにあると思います。科学技術はどんどん進んでも、庶民の生活習慣もそれに合わせて進んでいくわけではないでしょう。
たとえば、1982年公開の『ブレードランナー』。映画の冒頭、高層ビルがひしめきあい、光が煌めく夜のロサンゼルス、空には車が空を飛び交っています。これはとても未来的な風景です。ところが地上では、酸性雨の降りしきる中、ブレードランナーのデッカードは屋台でうどんを食べているのです、それも割り箸で。
ブレードランナー以前のSF映画では、科学技術も庶民の生活もすべて「未来」でした。特に1970年以前のSF作品では、庶民の生活もすべてオートメーションです。食事もボタンを押すか、声で指示するだけで機械が作り自動的に出てきます。服装も銀色のボディスーツというのはよくありました。当時は「未来」=「21世紀」だったように思います。でも21世紀も四半世紀たった今、当時のSFがすべて実現しているわけではないですよね。
現在のわれわれの生活はスマホやインターネットなど、進んだ科学技術と昔からあまり変わらない生活様式のギャップ、ひょっとすると、われわれは今「近未来」の中にいるのかもしれません。
この『ザ・クリエイター/創造者』を見る場合、ハラハラドキドキの物語展開を楽しむのはもちろんですが、何よりもまず、視覚的に見せてくれる「未来」を楽しむことではないでしょうか。

